 シャトー・ラトゥールやシャトー・マルゴーといったメドックの五大シャトーを凌ぐ高値で取り引きされ、誰もがその偉大さを疑わない至高のワイン、それがシャトー・ペトリュスです。 ワインを知る人ならもちろんのこと、ワインについてほとんど知らない人であっても、その名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれません。しかし、そんなペトリュスも19世紀初頭には、ボルドーのワイン関係者でさえほとんど知らないようなまったくの無名ワインでした。 ペトリュスがわずかに注目されたのは、1889年、パリで開かれたワイン品評会でのこと。この品評会で、それまで誰も知ることのなかったこのワインが、数々の有名シャトーを退け、堂々金賞を獲得したのです。この出来事はペトリュスの潜在的なポテンシャルの高さを物語る証といえますが、当時のボルドーのネゴシアン(ワイン商)は、ジロンド河の右岸エリア、サンテミリオンやポムロールのワインをほとんど扱っておらず、名声を勝ち得るまでには至りませんでした。 | |
 ペトリュスを最初に有名な存在にしたのは、マダム・ルバです。1945年、シャトーの完全な所有者となったマダムの尽力により、ペトリュスは徐々に脚光を浴びるようになります。ニューヨークでは高級レストランのオーナーに見そめられ、アメリカの上流階級にその名が浸透していきました。 そして、そのマダムの遺志を継ぎ、ペトリュスを世界のワインの頂点へとのし上げたのが、当時ペトリュスを独占的に販売していたリブールヌのネゴシアンのジャン・ピエール・ムエックス氏でした。 ムエックス氏は、マダムの死後、1964年にペトリュスの株式の半数を取得すると、シャトーの支配人や醸造責任者を一新し、数々の改革を行ってペトリュスの品質にますます磨きをかけました。そして、60年代から70年代にかけて、多くのワイン批評家が驚嘆する素晴らしい出来映えのワインを次々にリリースし、ペトリュスの名声を確実なものとしたのです。 わずか100年ほど前まではほぼ無名に近かったワインが、メドックの一級格付けワインよりも高値で取り引きされるような存在へと登りつめること。それは、厳格なヒエラルキーが支配するフランスのワイン界においては、まさに奇跡といっていい出来事といえます。 | |
 ヒュー・ジョンソン氏「(公式格付のない)ポムロルにあって『第1級格付』と呼ぶ存在。卓越を極めたメルロのどっしりとした芳醇で凝縮されたワイン(500ケース)は世界の富豪の間で配分されている。収穫年ごとにさらに光輝は増している。」最高評価★★★★ | |
 D.ペッパーコーン氏は、「メルロを使った世界最高の偉大なワインで、諸条件が正しく整ったときにこの品種がどれほどの偉業ををなしとげられるかを示している。油のようになめらかでありながら、噛めるような感じさえするリッチさと力をもっている。その点ではシュヴァル・ブランとどこか似ているが、ペトリュスのほうが密度が高く、腰が力強く、ゆっくり熟成していく。歳月とともに増していく風味の複雑さと、微妙なニュアンスは、まさに驚異だ。ペトリュスは、ワインを愛する者なら何をおいても味わう機会を見つけるべきワインだ。」 | |
 ル・クラスマンは「ペトリュスがカルトワインを越え、神話となって久しい、もはや超越した存在なのだ。その存在を維持するために必要な条件がある。まずテロワールは世界でもここだけにしかない深い粘土質。加えてメルロ本来の資質を生かすために捧げられる驚くべき熱意。さらに、世界でも最も優れた技術者がチームを組み、全力を尽くして当たっているきめ細かな手入れと分析。そうでもしなければ、品質に対する高い評価を獲得しつづけるのはかなりむずかしい、いや不可能である。メルロの盲目的な信奉者は(確かによく理解できるが)、ペトリュスとは、テクスチャーが最も豊満で、テロワールを最も率直に表現しており、熟成したアロマは最も高貴で、世界中で最も美しいワインを造るシャトーだと考えている。たとえメドックやグラーヴのグラン・ヴァンに慣れ親しんだ人が、ペトリュスのグレート・ヴィンテージを何の疑問を持たずに味わうにしても、その中にいつもエキゾティックな何かを見出すのだ。」と激賞し、2007年のペトリュスに18.5点をつけています。 | |
|