マルサネ・ルージュ[2020]年・ドメーヌ・フィリップ・シャルロパン(パリゾー)元詰・オーク樽18ヶ月熟成・AOCマルサネ・ルージュ・自然派・リュットレゾネ(減農薬農法)・正規品
- 生産年[2020]年
- 生産者ドメーヌ・フィリップ・シャルロパン(パリゾー)元詰
- 生産地フランス/ブルゴーニュ/コート・ド・ニュイ/マルサネ村/AOCマルサネ・ルージュ
- テイストフルボディ
- 内容量750ml
入手困難!ブルゴーニュ辛口赤ワイン愛好家大注目!あの「ブルゴーニュの神様」!「ピノ・ノワールの神様」アンリ・ジャイエから指導を受けた典型的な天才肌の造り手(愛弟子)の一人!ドメーヌ・フィリップ・シャルロパン(パリゾー)のマルサネ・ルージュ!しかも生産量が少ないため、日本への入荷も少ない正規品!コート・ドール最北のアペラシオンであり、コート・ド・ニュイ地区のAOCの村名で、随一のコストパフォーマンスとの呼び名が高いマルサネ赤AOC!ジャスパー・モリスMW曰く、「マルサネで真に価値のあるワインは赤であり、土壌構成はコート・ド・ニュイの他の銘醸地と少しも変わらない。」と絶賛!中世からブルゴーニュ大公とフランス王家も畑を所有!大人気のAOCマルサネ・ルージュ!しかも最新ヴィンテージでスーパーグレイトヴィンテージ[2020]年もの!(アシェット・ガイド誌2023年版ではブルゴーニュの赤に「史上最高のヴィンテージのひとつ!驚異の18/20点(1970年以降、50年間で18/20以上は1971、1978、1990、2005、2015、2018、2019、2020年の過去に8ヴィンテージのみ。)」の最高評価!)もので遂に入荷!しかも造り手は、あの「ブルゴーニュの神様」!「ピノ・ノワールの神様」アンリ・ジャイエから指導を受けた典型的な天才肌の造り手(愛弟子)の一人!そのためワイン造りにおいて師であるジャイエの影響が色濃く見受けられる!(ブルゴーニュのスター生産者。1976年にフィリップが20代にして父から1.8haの畑を相続。ワインに対して情熱的かつ極めて真面目、ディテールに執着する典型的な天才肌です。 ワインは魅惑的な果実のアロマとシルキーなタッチで、若いうちから美味しいスタイルゆえ「テロワールというよりシャルロパンのワイン」と言われることもありますが、熟成によりその真価が発揮され、美しいバランスとエレガンス、フィネスを見事に表現します。ドメーヌの冒険はさらに続いており、2007年にはボーヌにペルナン他畑を新たに取得した他、シャブリでのワイン造りに着手し、手がけるアペラシオンは35に及びます。)このマルサネ・ルージュ[2020]年は、平均樹齢35年のブドウを使用!100%除梗し、タンクで発酵!オーク樽(新樽率30%)で18ヶ月熟成で造られるます!透明感があり、いきいきとした酸、赤系果実の香りが特徴です!(芳醇で力強い味わいが印象的。活気のある酸と赤系果実の旨みがたっぷりと凝縮された、透明感のあるワインに仕上がっています。村名クラスのワインがこの価格で楽しめる、非常に魅力的な1本!)とにかく、大物生産者のコート・ド・ニュイのワインが良心的な価格で楽しめるのが魅力の1本です!
フィリップ・シャルロパンはコート・ド・ニュイにおけるモダンなワイン造りの先駆者。テロワールの型にはまらない、凝縮感がある筋肉質なワインを生産してきましたが、 1997年以降からはよりエレガントなスタイルへシフトしてきています。また、フィリップ・シャルロパンはピノ・ノワールの神様と呼ばれるアンリ・ジャイエから指導を受けていた一人で、ジャイエから愛弟子としてかわいがられていたと言われています。そのため、ワイン造りにおいては師であるジャイエの影響が色濃く見られます。
完熟葡萄の収穫はもちろんのこと、厳しく選別した果実は除梗した後、一週間に及ぶ低温のマセラシオン発酵が行われます。その後樽で熟成されますが、新樽比率が高いこともその特徴として挙げられます。若いうちは樽香が強く感じられますが、熟成を経てワインのアロマと溶け込み、洗練された奥行きのある味わいに変化します。
厳しい評価で知られるル・クラスマンはフィリップ・シャルロパンについて…フィリップは時代の先端を行く醸造家で、色やボディを抽出する技術、贅沢な樽香の付け方、テクスチャーを洗練させる技などでは誰にも負けない。だがこのドメーヌを見ているとそうした技術に秀でた醸造家が造るワインでも、土自体にものいう力がある場合には、それがワインに表れるものだということがよくわかる。つまり、どのワインにも畑の個性が十分に出ているので、この酒蔵を一巡すれば、ブルゴーニュワインの多様性と、複雑でわかりにくい呼称を手っ取り早く頭に入れることができるわけである。
ワイン王国の特集記事より…「テロワールの個性を生かす仕込み技」ある若い酒造り屋が、名うての酒造りの銘酒に自分の造ったワインを見てもらった。「とてもいい。だが、果梗が多過ぎる」と叱られて、翌年、また新酒を利てもらった。「前より良くなった。だが、まだ果梗が多い。」さらに翌年も批評は辛かった。ついに栄光の1990年、「おぬし、やっと酒造りというものがわかったな」と褒められた。若い造り手は言うまでもなく56年生まれのフィリップ・シャルロパン、導師はアンリ・ジャイエ。クライヴ・コーツの『コート・ドール』に出てくる挿話である。
フィリップの父、アンドレは孤児でアリエール・コートで育てられ、成人してジュヴレ村に移り、何軒かのドメーヌで働いていた。自分のドメーヌを持ちたくて、稼いだ金を一生懸命ため、あちこちの畑を少しずつ買い取った。77年に死んだとき、フィリップに約1.8ヘクタールの畑を残したが、そのときフィリップは22歳だった。以前から近所のドメーヌで働いて酒造りの技術を身に付けて、父のところに戻ってきた矢先だった。
独り立ちできる力量は備えていたからドメーヌを継いだが、畑が少なすぎるので、もっと拡張するのが悲願だった。妻ソニアとともに、まずマルサネ村で畑を増やし、その稼ぎでやっとモレ・サン・ドニ村のグラン・クリュ、クロ・サン・ドニの一面を買うことができた。売ってくれたのはアミオ・ベルタン家だった。その後、シャンボール・ミュジニィ、ジュヴレと畑を買い増した。88年になって、彼の人柄を見込んだラトゥール一族のマダム・ジョスリーヌ・バロンからル・シャンベルタンの0.21ヘクタールの区画を任されるようになった。そして、ジュヴレ村の中でも74号線沿いにあるシャルル・キンラードの古いセラーを買い取り、これを改装して名実ともにジュヴレのドメーヌになった。