ロマネ・コンティ・ブルゴーニュ オート コート ド ニュイ ラヴィーニャ[2011]年・ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ・DRC・AOCブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイ・(表ラベルに「MIS EN BOUTEILLE PAR DRC」(DRC元詰)の記載がある)・14年熟成作品
Bourgogne Hautes Cotes de Nuits Lavinia 2011 DRC (Domaine de la Romanee-Conti) AOC Bourgogne Hautes Cotes de Nuits 13.5%
- 生産年2011
- 生産者ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ・DRC
- 生産地フランス/ブルゴーニュ/コートドニュイ/ヴォーヌロマネ村 AOCブルゴーニュ オート コート ド ニュイ
- タイプ白 辛口
- 内容量750ml
- 注意文※こちらの商品につきましては、飲まれるお客様によって、評価が二分されます。何十年もの熟成を経ている古酒となりますので、返品交換等のご対応は致しかねます。予めご了承の上、ご購入頂けます様、どうか宜しくお願い申し上げます。
最高級フランス・ブルゴーニュ辛口白ワイン愛好家大注目!世界最高峰ワインのドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)による辛口白ワイン!この「Bourgogne Hautes Cotes de Nuits Lavinia 2011 DRC」は、世界的に著名なドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)が瓶詰した、非常に希少なブルゴーニュ白ワインです。
DRCのシャルドネと言えばモンラッシェとコルトン・シャルルマーニュ特級が有名ですが、本ワインは異なる区画のブドウから造られた希少な存在の白ワイン!2011年ヴィンテージは、主に日本国内にてワインコレクターや愛好家向けに流通しています。(このワインは、DRCのブランド力、シャルドネのエレガンス、そして入手難易度の高さから、ブルゴーニュ白ワイン・コレクションの中でも特に珍重されています。トロピカルフルーツや熟した果実系の優美な香気と余韻、しなやかな酸、長い余韻が楽しめるようです。)
DRCによるオート・コート・ド・ニュイの白は非常に珍しく、ラベルや流通の多くはLAVINIA(パリのオペラ近くにあるフランス最大規模のワインショップ)向けの特注品です。市場流通量が非常に少なく、表ラベルの表示も「MIS EN BOUTEILLE PAR DRC」(DRC元詰)の記載があります。
(正規品の蔵出し限定作品はDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)のトップのロマネコンティからラターシュ、ロマネサンヴィヴァン、リシュブール、グランエシェゾー、エシェゾー、コルトン、ヴォーヌロマネまで、白はモンラシェ、コルトンシャルルマーニュまですべてのキュヴェが正規品の蔵出し限定作品で各ヴィンテージ揃っています。正規品のWEBでの販売は禁止されているため対面販売のみとなっていますがTEL、メール、等でお気軽にお問い合わせくださいませ。)
わずか1.8haのハンカチ1枚ほどにすぎない小さな葡萄畑のワインに世界中のワイン愛好家が心をうばわれる魔力がある。
そうなのです。この機会を逃すといつ、手に入れられるか解らないという気持ちをつねに持たせるからなのです。
■ 王冠と、それを囲む宝石たち
コート・ド・ニュイの中心に位置し、しばしば「ニュイの真珠」とたたえられるヴォーヌ・ロマネ村。この村には6つのグラン・クリュ・があり、そのすべてがブルゴーニュきっての極上品として覇を競いあっています。力強さと複雑さのラ・ターシュ、華やぎのリシュブール、堂々たる骨格のラ・ロマネ、繊細さの極みともいうべきロマネ・サン・ヴィヴァン、そして1992年にグラン・クリュに昇格したグランド・リュー。ロマネ・コンティは、この6つの宝石に東西南北を取り囲まれるようにして、まさにその中心に君臨しています。ロマネ・コンティだけが、これら6つの宝石のすべての実質をあわせもっているのです。
堂々たる骨格を持ったロマネ・サン・ヴィヴァンは存在しませんが、ロマネ・コンティにはそれがあります。リシュブールの華やぎをもつラ・ロマネは存在しませんが、ロマネ・コンティにはリシュブールに優るとも劣らぬ華やぎがあります。ロマネ・コンティは文字通り中心であり、すべてなのです。
■ 2000年間、葡萄の根が耕し続けた土
ロマネ・コンティの畑の歴史は、ローマ時代にまでさかのぼります。ローマ人による統合と葡萄栽培への感謝から、この村の極上の畑に「ロマネ」の名が贈られたのです。以来2000年にわたり、この畑には葡萄が栽培され続けてきました。有機栽培では「根で耕す」ということがよく言われます。人の手で耕すことができるのはせいぜい深さ50~60cmどまりですが、葡萄の樹は10m以上の深さまで根を張りめぐらします。その根が土を耕し、数十年もたつと土の組成そのものが変わってしまうのです。ロマネ・コンティの土は、まさにそうした「根による深耕」を2000年以上にもわたって続けてきた特別な土地。かつてローマ人が目をつけた優れた土壌と微気候を幾十世代にわたる葡萄栽培家たちの手が、完璧なものにつくり変えたのです。いわばこの土地には、時間の魔法がかけられているのです。
■ 神話の誕生
ロマネ・コンティのワインは、つねに垂涎の的でした。10世紀の初頭以来、この畑はサン・ヴィヴィアン修道院のもとで耕され、18世紀初頭には、ルイ14世の侍医が持病の治療薬として毎日スプーン数杯のロマネ・コンティを処方しました。ルイ15世時代、葡萄畑の所有をめぐって王の寵妃ポンパドール夫人と、ブルボン王朝のの名族コンティ公爵の間で争奪合戦が行われました。1765年、この勝負はコンティ公爵の側に軍配があがり、腹を立てたポンパドール夫人は、以降ヴェルサイユの宴席からブルゴーニュワインを締め出した、とも伝えられています。
一方コンティ公爵は、この葡萄園のワインをすべて自家用に切りかえ、市場から引きあげてしまいました。以降このワインはコンティ宮殿でしか味わえない特別な酒となったのです。ロマネ・コンティの名はここに生まれたのでした。
ロマネ・コンティ・ブルゴーニュ オート コート ド ニュイ ラヴィーニャ[2011]年・ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ・DRC・AOCブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイ・(表ラベルに「MIS EN BOUTEILLE PAR DRC」(DRC元詰)の記載がある)・14年熟成作品
Bourgogne Hautes Cotes de Nuits Lavinia 2011 DRC (Domaine de la Romanee-Conti) AOC Bourgogne Hautes Cotes de Nuits 13.5%
- 生産年2011
- 生産者ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ・DRC
- 生産地フランス/ブルゴーニュ/コートドニュイ/ヴォーヌロマネ村 AOCブルゴーニュ オート コート ド ニュイ
- タイプ白 辛口
- 内容量750ml
- 注意文※こちらの商品につきましては、飲まれるお客様によって、評価が二分されます。何十年もの熟成を経ている古酒となりますので、返品交換等のご対応は致しかねます。予めご了承の上、ご購入頂けます様、どうか宜しくお願い申し上げます。
最高級フランス・ブルゴーニュ辛口白ワイン愛好家大注目!世界最高峰ワインのドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)による辛口白ワイン!この「Bourgogne Hautes Cotes de Nuits Lavinia 2011 DRC」は、世界的に著名なドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)が瓶詰した、非常に希少なブルゴーニュ白ワインです。
DRCのシャルドネと言えばモンラッシェとコルトン・シャルルマーニュ特級が有名ですが、本ワインは異なる区画のブドウから造られた希少な存在の白ワイン!2011年ヴィンテージは、主に日本国内にてワインコレクターや愛好家向けに流通しています。(このワインは、DRCのブランド力、シャルドネのエレガンス、そして入手難易度の高さから、ブルゴーニュ白ワイン・コレクションの中でも特に珍重されています。トロピカルフルーツや熟した果実系の優美な香気と余韻、しなやかな酸、長い余韻が楽しめるようです。)
DRCによるオート・コート・ド・ニュイの白は非常に珍しく、ラベルや流通の多くはLAVINIA(パリのオペラ近くにあるフランス最大規模のワインショップ)向けの特注品です。市場流通量が非常に少なく、表ラベルの表示も「MIS EN BOUTEILLE PAR DRC」(DRC元詰)の記載があります。
(正規品の蔵出し限定作品はDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)のトップのロマネコンティからラターシュ、ロマネサンヴィヴァン、リシュブール、グランエシェゾー、エシェゾー、コルトン、ヴォーヌロマネまで、白はモンラシェ、コルトンシャルルマーニュまですべてのキュヴェが正規品の蔵出し限定作品で各ヴィンテージ揃っています。正規品のWEBでの販売は禁止されているため対面販売のみとなっていますがTEL、メール、等でお気軽にお問い合わせくださいませ。)
わずか1.8haのハンカチ1枚ほどにすぎない小さな葡萄畑のワインに世界中のワイン愛好家が心をうばわれる魔力がある。
そうなのです。この機会を逃すといつ、手に入れられるか解らないという気持ちをつねに持たせるからなのです。
■ 王冠と、それを囲む宝石たち
コート・ド・ニュイの中心に位置し、しばしば「ニュイの真珠」とたたえられるヴォーヌ・ロマネ村。この村には6つのグラン・クリュ・があり、そのすべてがブルゴーニュきっての極上品として覇を競いあっています。力強さと複雑さのラ・ターシュ、華やぎのリシュブール、堂々たる骨格のラ・ロマネ、繊細さの極みともいうべきロマネ・サン・ヴィヴァン、そして1992年にグラン・クリュに昇格したグランド・リュー。ロマネ・コンティは、この6つの宝石に東西南北を取り囲まれるようにして、まさにその中心に君臨しています。ロマネ・コンティだけが、これら6つの宝石のすべての実質をあわせもっているのです。
堂々たる骨格を持ったロマネ・サン・ヴィヴァンは存在しませんが、ロマネ・コンティにはそれがあります。リシュブールの華やぎをもつラ・ロマネは存在しませんが、ロマネ・コンティにはリシュブールに優るとも劣らぬ華やぎがあります。ロマネ・コンティは文字通り中心であり、すべてなのです。
■ 2000年間、葡萄の根が耕し続けた土
ロマネ・コンティの畑の歴史は、ローマ時代にまでさかのぼります。ローマ人による統合と葡萄栽培への感謝から、この村の極上の畑に「ロマネ」の名が贈られたのです。以来2000年にわたり、この畑には葡萄が栽培され続けてきました。有機栽培では「根で耕す」ということがよく言われます。人の手で耕すことができるのはせいぜい深さ50~60cmどまりですが、葡萄の樹は10m以上の深さまで根を張りめぐらします。その根が土を耕し、数十年もたつと土の組成そのものが変わってしまうのです。ロマネ・コンティの土は、まさにそうした「根による深耕」を2000年以上にもわたって続けてきた特別な土地。かつてローマ人が目をつけた優れた土壌と微気候を幾十世代にわたる葡萄栽培家たちの手が、完璧なものにつくり変えたのです。いわばこの土地には、時間の魔法がかけられているのです。
■ 神話の誕生
ロマネ・コンティのワインは、つねに垂涎の的でした。10世紀の初頭以来、この畑はサン・ヴィヴィアン修道院のもとで耕され、18世紀初頭には、ルイ14世の侍医が持病の治療薬として毎日スプーン数杯のロマネ・コンティを処方しました。ルイ15世時代、葡萄畑の所有をめぐって王の寵妃ポンパドール夫人と、ブルボン王朝のの名族コンティ公爵の間で争奪合戦が行われました。1765年、この勝負はコンティ公爵の側に軍配があがり、腹を立てたポンパドール夫人は、以降ヴェルサイユの宴席からブルゴーニュワインを締め出した、とも伝えられています。
一方コンティ公爵は、この葡萄園のワインをすべて自家用に切りかえ、市場から引きあげてしまいました。以降このワインはコンティ宮殿でしか味わえない特別な酒となったのです。ロマネ・コンティの名はここに生まれたのでした。